馬見塚メモと横浜地検の発言記録は、なぜここまで符合するのか

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「検事はプライドが強く、感情論で起訴する」

国税局OBである馬見塚武治税理士と熊本国税局・国税幹部との関係の中で作成されたとされる、いわゆる「馬見塚メモ」。

その中には、検察の起訴・不起訴判断について、

「検事はプライドが強いため、感情論でいく」

という趣旨の極めて特徴的な分析が記載されているとされています。

これだけであれば、単なる国税局OBの経験談、あるいは検察官に対する個人的評価として片付けることもできるでしょう。

しかし、当ユニオンが2026年8月に公開した横浜地方検察庁に関する一連の記事を時系列で読み直すと、極めて興味深いことが分かります。

そこに繰り返し登場するのは、

法律でも、証拠でもありません。

「態度」

「正しいことなのか」

「謝る気はあるのか」

「私のことは嫌いですか」

「寄り添ってきたつもりだった」

といった、極めて人間的で、感情に接近した言葉なのです。

これは偶然なのでしょうか。

「あなたは立場を考えてものを言いなさいよ」

まず、小林検事についてです。

検察ユニオンが2026年8月5日に公開した記事では、金本重徳氏に関する参考人取調べについて、小林検事が参考人に、

「あなたは、立場を考えてものを言いなさいよ」

と述べたとの情報が寄せられたとされています。

さらに、参考人を睨みつけるように見ながら、

「本当にその態度でよいのか」

「本当にその内容でよいのか」

「それは正しいことなのか」

と繰り返したとも記録されています。

検察ユニオン自身も、これらの事実については録音録画、取調べメモ、供述調書等による検証が必要だと明記しています。

しかし、仮にこの発言が事実であるなら、ここで一つの問いが生じます。

なぜ、

「その説明や行為はこのエンジェル税制の規定に違反しています。それについて、どう考えますか。」

ではないのでしょうか。

代わりに出てくるのが、

「立場を考えろ」

「本当にその態度でよいのか」

「正しいことなのか」

という言葉です。

これは、事実認定のための質問なのでしょうか。

それとも、相手の態度、倫理観、そして検察官との力関係に働きかける言葉なのでしょうか。

馬見塚メモの「プライド」と、取調べの「立場」

ここで馬見塚メモの記載に戻ります。

「検事はプライドが強い」

という趣旨の分析です。

もちろん、「あなたは立場を考えてものを言いなさいよ」という発言だけで、小林検事本人のプライドが強かったなどと断定することはできません。

しかし、少なくとも構造は非常によく似ています。

参考人が検察の期待する方向と異なる説明をする。

そこで客観証拠との矛盾を突きつけるのではなく、

「あなたの立場を考えろ」

と返す。

この場面で問題になっているのは、証拠でしょうか。

それとも、

検察官の見立てに従わない態度そのもの

でしょうか。

馬見塚メモがいう「プライド」「感情論」が意味していたものが、もしこのような取調べ姿勢だったとすれば、両者の符合は無視できません。

「私のこと嫌いですか」

次に山口検事です。

2026年8月4日の検察ユニオン記事によれば、山口検事は、身柄を拘束されていた金本重徳氏のもとを土曜日に訪れ、

「私のことは嫌いですか」

と尋ねたとされています。
(検察組織からの情報漏洩は金本氏の逮捕前の写真がメディアで出回っていたことからも、当然の体質です。したがって、小林検事や山口検事の発言も検察内部から漏洩し続けています。)

これは非常に象徴的な言葉です。

刑事事件の取調べで通常問われるべきなのは、

誰が何をしたのか。

どの証拠があるのか。

どのような認識があったのか。

誰と何を共謀したのか。

という事実です。

ところが、

「私のことを嫌いですか」

という質問は、それらとは性質が違います。

検察官と被疑者との個人的な関係性そのものを確認する言葉だからです。

馬見塚メモの「感情論」という表現を知った後に、この発言記録を読むと、その一致には強烈な違和感が残ります。

「極力寄り添ってきたつもりだった」

山口検事については、さらに別の発言も公開されています。

検察ユニオンの記事によれば、

「極力寄り添ってきたつもりだし、金本さんの力になりたいと思っているが、こうなってしまったのは力不足だったと思う」

という趣旨の発言があったとされています。

一見すると、非常に人間味のある発言です。

しかし問題は、その言葉が刑事取調べの場で出ていることです。

検察官の役割は、被疑者の友人になることではありません。

嫌われないことでもありません。

「寄り添った」と感じてもらうことでもありません。

客観的証拠を収集し、公平に評価し、犯罪が成立するかを判断することです。

その場に、

好きか嫌いか

寄り添ったか

力になれたか

という情緒的な要素が入り込んでいたのであれば、それはまさに馬見塚メモがいう「感情論」という言葉と重なります。
そして、「力不足」であることを自ら認めておきながら、山口検事は起訴に踏み切りました。

さらに「謝る気はありますか」

そして2026年8月6日の記事です。

金本重徳氏への取調べで、横浜地検の検察官から、

「謝る気はありますか」

という趣旨の質問があったとされています。

さらに、

「結局、こんなだから終わりにします」

とも述べたとされています。

ここでもまた、同じ構造が現れます。

何の犯罪について謝るのでしょうか。

誰に謝るのでしょうか。

どの法令に違反したことについて謝るのでしょうか。

その前提となる犯罪事実が客観証拠によって確定しているのであれば、反省の有無を確認する場面があること自体は理解できます。

しかし、犯罪成立自体を争っている段階で、

「謝る気はありますか」

と先に尋ねるのであれば、

事実認定よりも先に、

反省

態度

罪悪感

という感情面から供述を取りにいっているのではないかという疑問が生じます。

「こんなだから終わり」

さらに象徴的なのが、

「結局、こんなだから終わりにします」

という言葉です。

「こんな」とは何でしょうか。

証拠がなくなったという意味でしょうか。

新しい捜査事項がなくなったのでしょうか。

それとも、

被疑者が検察官の期待する答えをしなかったことなのでしょうか。

検察ユニオンは、金本氏が検察側の期待する供述をしなかったことと、この発言との関係を問題提起しています。

もし「こんな」が被疑者の態度を意味するのであれば、

再び馬見塚メモの言葉が浮かびます。

「感情論でいく」

です。

そして最も重い発言

さらに検察ユニオンには、山口検事について、非常に重大な発言情報が掲載されています。

金本重徳氏に対し、

「こいつを悪いと金本重徳氏が供述しなければ、金本重徳氏自身が最も悪い人物になる。外から見れば、中野爵喜氏と金本重徳氏が計画したように見える」

という趣旨の発言をしたとされています。

これが事実であれば、問題は一段深刻になります。

これは、

「あなたが見た事実を自由に話してください」

ではありません。

検察が責任を負わせたい人物について、

悪いと供述するか

それとも、

自分自身が最も悪い人物として扱われるか

という二者択一を提示しているようにしか読めないからです。

もちろん、正確な文脈は録音録画によって確認されなければなりません。

しかし、仮にこの発言がそのまま存在するのであれば、

客観証拠によって供述を崩すのではなく、

自分の処分への恐怖を利用して他人を悪いと供述させる

構造になっていなかったかが問われます。

馬見塚メモは、何を知っていたのでしょうか

ここで改めて、すべてを並べてみます。

馬見塚メモでは、

「検事は税に関する知識はないが、プライドが強い」

「感情論でいく」

という趣旨の記載のメモが広範囲に広がっています。
そして、この馬見塚メモの存在については、東京国税局も小林検事も把握している録音等が残っています。

その後、検察ユニオンには、

小林検事について、

「あなたは立場を考えてものを言いなさいよ」

「本当にその態度でよいのか」

「本当にその内容でよいのか」

という発言情報が寄せられています。

山口検事については、

「私のこと嫌いですか」

「極力寄り添ってきたつもりだった」

という発言情報があります。

さらに取調べでは、

「謝る気はありますか」

「結局、こんなだから終わりにします」

という発言まで記録されています。

そして、

「別の人物を悪いと供述しなければ、自分が最も悪くなる」

という趣旨の発言情報まで存在します。

これだけ並ぶと、問いは一つです。

なぜ、馬見塚メモが事前に描いた「プライド」と「感情論」という検事像に、後から出てきた取調べ情報がこれほど重なるのでしょうか。

偶然なら、録音録画を開示すれば終わる話です

私たちは、これだけで小林検事や山口検事が違法な取調べをしたと断定するつもりはありません。

する必要もありません。

非常に簡単な確認方法があるからです。

取調べの録音録画を確認すればよいのです。

本当に、

「立場を考えてものを言いなさいよ」

と言ったのでしょうか。

本当に、

「私のこと嫌いですか」

と聞いたのでしょうか。

本当に、

「寄り添ってきたつもりだった」

と述べたのでしょうか。

本当に、

「謝る気はありますか」

と言ったのでしょうか。

本当に、

別の人物を悪いと供述しなければ本人が最も悪くなるという趣旨の説明をしたのでしょうか。

録音録画があれば、

議論は数分で終わります。

最も恐ろしいのは、馬見塚メモが正しかった場合です

馬見塚メモが単なる憶測であれば、それで終わりです。

しかし、

メモの作成時期がこれらの取調べより前で、

そこに、

「検事はプライドが強い」

「税の知識はないので感情論でいく」

という起訴判断に関する分析が既に存在し、

その後の取調べで、

立場

態度

好き嫌い

寄り添い

謝罪

他人を悪いと供述するか否か

という、極めて情緒的・心理的な要素が次々に登場したのであれば、

これは単なる偶然として処理できるでしょうか。

むしろ、本当に問うべきことは、

国税局OBの定年まで勤めた馬見塚税理士は、なぜ事前に検察官の行動をここまで具体的に予測できたのでしょうか。

という点です。

国税局査察部に定年まで勤めて得た内部情報だったのでしょうか。

国税と検察の協議実務を熟知していたからでしょうか。

それとも、当時既に何らかの捜査方針に関する情報を得ていたのでしょうか。

「感情論でいく」は、ただの言葉だったのでしょうか

刑事司法において、

被疑者が検察官を好きか嫌いかは、本来どうでもよいはずです。

検察官が「寄り添った」と感じているかどうかも、本来どうでもよいはずです。

参考人の「態度」が検察官の気に入るものかどうかも、本来どうでもよいはずです。

必要なのは、

何が起きたのか。

どの証拠があるのか。

どの法律に違反したのか。

それだけです。

それにもかかわらず、

「立場を考えろ」

「本当にその態度でいいのか」

「私のこと嫌いですか」

「寄り添ってきたつもりだった」

「謝る気はありますか」

という言葉が同じ捜査の周辺で次々に出てくる。

その一方で、馬見塚メモには、

「検事はプライドが強く、税に関する知識はないので感情論でいく」

という趣旨の記録が存在するとされています。

これを無関係として処理するのであれば、

検察にはぜひ説明していただきたいと思います。

公判でやることは単純です

馬見塚メモを出す。

作成日を確定する。

真正性を確認する。

そのうえで、

取調べ録音録画を出す。

小林検事の発言を確認する。

山口検事の発言を確認する。

時系列に並べる。

そして裁判所に問えばよいのです。

馬見塚メモは、なぜここまで後の取調べと符合したのでしょうか。

もし符合していないのであれば、

録音録画がそれを証明します。

もし符合しているのであれば、

次の問いへ進まなければなりません。

起訴判断は、本当に証拠だけによって行われたのでしょうか。

それとも、

「プライド」

「感情」

「態度」

「自白を得られたかどうか」

という、本来刑事責任とは切り離されるべき要素が入り込んでいたのでしょうか。

検察に求めたいのは反論ではありません。記録の公開です。

この問題で、検察に感情的な反論をしてほしいとは思いません。

むしろ、

感情ではなく記録を出してほしいのです。

馬見塚メモが間違っていたこと。

検察官が感情ではなく証拠で動いていたこと。

取調べが供述誘導ではなかったこと。

これらは、記録を確認すれば明らかにできます。

だからこそ最後に、極めて単純な問いを置きます。

「検事はプライドが強く、税に関する知識もないから感情論でいく。」

これは、定年まで勤めた国税局OBによる単なる雑感だったのでしょうか。

それとも、

後に実際の取調べで現れる検察官の言動を、驚くほど正確に先取りした記録だったのでしょうか。

答えを出すのは、印象ではありません。

取調べの録音録画と、馬見塚メモの作成日時です。

両方を並べれば、

答えは出ます。

国税ユニオンと検察ユニオンはこちらから

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