再エネ賦課金とエンジェル税制に共通する、行政検証なき摘発の危うさ
再生可能エネルギー政策をめぐり、国民が電気料金を通じて負担してきた再エネ賦課金が、累計で約20兆円規模に達していることが改めて注目されている。
ここで正確に区別すべきなのは、約20兆円が文字どおり「消失した」と確認されたわけではないという点である。
問題の核心は、それほど巨額の国民負担について、政府が、最終的にどの事業者へ、いくら支払われたのかを受益者別に集計し、国民に直ちに説明できる管理体制を備えていないことである。
年間数兆円規模の負担を国民に求めておきながら、その最終的な資金の流れを一覧性のある形で示せない。これは単なる事務上の不備ではない。政策効果、利害関係、海外資本への流出、事業者間の偏在、不適切案件の有無を検証する前提そのものが欠けているという、行政統制の問題である。
そして、この問題は再エネ政策だけにとどまらない。
エンジェル税制もまた、経済産業行政の下で設計・運用されている制度である。対象企業や投資の要件については都道府県等が確認書を交付し、投資家はその確認書を確定申告時に税務署へ提出する。すなわち、行政自らが制度の入口で適格性を確認し、その確認を前提として税制上の効果が生じる仕組みである。
それにもかかわらず、後になって東京国税局や横浜地検が、行政確認の経緯、制度設計上許容された取引、関係行政機関への事前照会、確認書の発行過程を十分に検証しないまま、「制度の悪用」「租税回避」「脱税の共謀」と評価したのであれば、あまりに捜査能力が低く、順序が逆ではないか。
まず検証されるべきは、納税者の意図だけではない。
なぜ行政は確認書を交付したのか。
どの事実を審査し、どこまで制度適用を認めたのか。
行政機関同士で解釈や運用基準は共有されていたのか。
制度上禁止される取引と、政策目的上予定された再投資との境界は、事前に明確化されていたのか。
照会を受けた行政機関は、どの法令と資料に基づいて回答したのか。
これらを検証せず、結果だけを見て納税者である金本氏に刑事責任を負わせることは、行政の制度設計上の欠陥を私人へ転嫁することになりかねない。
行政には説明できなくても、納税者には説明を強いるという不均衡
再エネ賦課金では、約20兆円という国民負担について、政府が最終受益者別の支払状況を即答できない。
一方、納税者である金本氏には、数年前の取引について、契約の目的、資金移動の理由、相手方の認識、事業計画、役務の内容、当時の会話に至るまで、完全な説明を要求する。
この落差はあまりに大きい。
行政が巨額制度の全体像を把握できないことは「制度が複雑だから」で済まされるのに、納税者が制度に従って投資し、行政確認を受け、複数の事業を展開した結果については、少しでも説明が食い違えば「不自然」「仮装」「共謀」と評価される。
これでは、行政の記録不足は免責され、私人の記憶不足だけが犯罪の徴表とされることになる。
法治国家において、立証責任を負う側は捜査機関である。
納税者に質問すら十分に行わず、客観的資料との照合もせず、行政確認の背景も調べず、制度所管官庁の見解も精査しないまま、先に「悪用」という結論を置くことは、捜査ではなく結論への当てはめである。
とりわけ租税刑事事件では、単に課税要件の解釈が争われるだけでは足りず、故意や偽りその他不正の行為が立証されなければならない。
制度の適用範囲が行政内部でも不明確で、所管機関による確認や説明が存在し、納税者がそれを信頼して行動した事情があるのであれば、その事情は故意の有無を判断する中心的な要素である。
それを無視して、「税額が減少した」という結果だけから犯罪意思を推認することは許されない。
「制度を信じた者」が最も重い責任を負う社会でよいのか
エンジェル税制は、スタートアップへのリスクマネー供給を促進するための政策税制である。
国が投資を促し、自治体等が適格性を確認し、投資家に税制優遇を案内する。その制度を信頼して投資した後に、別の行政機関から「その投資は不自然だ」「資金が循環している」「制度趣旨に反する」と批判されるのであれば、納税者は一体どの行政説明を信じればよいのか。
制度の入口では投資を奨励し、出口では制度利用を疑う。
行政確認を信じれば「形式に依存した」と言われ、専門家へ相談すれば「スキームを構築した」と疑われ、再投資すれば「資金循環」と評価される。
このような運用が続けば、合理的な事業者ほど政策税制を利用しなくなる。
結果として損なわれるのは、捜査対象となった一人の納税者だけではない。日本のスタートアップ政策そのものの信用である。
必要なのは摘発競争ではなく、行政自身への検証である
再エネ賦課金約20兆円の問題が示しているのは、行政が巨額制度を運営しながら、資金の最終的な流れや政策効果を十分に可視化できていない可能性である。
ならば、同じ政策官庁が関係するエンジェル税制についても、まず次の点を公開検証すべきである。
第一に、確認書を発行した案件について、どの資料を審査し、どの要件を確認したのか。
第二に、国税当局が後に否認した案件について、制度所管官庁や都道府県等との見解調整を行ったのか。
第三に、行政の事前回答や確認を信頼した納税者の予測可能性を、どのように保障するのか。
第四に、単なる課税上の解釈相違と、刑事事件としての故意ある不正行為を、どの基準で区別しているのか。
第五に、納税者への事情聴取、反証機会の付与、行政照会記録の確認を経ないまま、告発や逮捕へ進む運用が存在しないか。
これらを検証せずに、行政側の欠陥は不問に付し、納税者だけを「制度悪用者」として摘発するのであれば、それは社会正義ではない。
制度を作った側には説明責任がなく、制度を使った側にだけ刑事責任があるという構造は、法治行政とは呼べない。
行政が自らに適用しない厳格さを、国民にだけ向けてはならない
約20兆円規模の制度について、行政が最終的な資金の流れを十分に説明できないのであれば、まず行政自身がその管理体制を検証しなければならない。
その一方で、納税者に対しては、法的根拠を明確に示さず、制度所管官庁の確認過程を検証せず、質問や反論の機会すら十分に与えないまま、「悪用」「脱税」と決めつける。
この二重基準こそ、最も厳しく問われるべきである。
行政の失敗は「制度上の課題」とされ、私人の判断は「犯罪」とされる。
行政の記録不足は組織の問題で済み、私人の資料不足は隠蔽と疑われる。
行政の説明不能は複雑性のせいにされ、私人の説明不足は故意の証拠にされる。
この不均衡を放置してはならない。
国民に厳格な説明責任を求めるのであれば、行政はそれ以上に、自らが設計し、確認し、運営した制度について説明しなければならない。
再エネ賦課金の問題も、エンジェル税制をめぐる問題も、本質は同じである。
問われているのは、制度を利用した国民の責任だけではない。
制度を作り、確認し、管理し、後から異なる解釈で処罰しようとする行政の責任である。
行政は、国民を取り締まる前に、自らの制度と記録を検証せよ。
それができないまま納税者だけを断罪することは、法執行ではなく、行政責任の転嫁である。
横浜地検の小林検事は、本件とは比較にならない20兆円の行方も追うべきではないだろうか。



