労働者の働き方がこれだけ多様化している社会の中で、労働組合の多様化を認められないというのはおかしい。
現在の東京都労委の決定(グランティア事件)、福岡労委の決定(くろえクリニック事件、山川運輸事件)においては、
労働委員会の決定の通り、労組法第2条が憲法組合の保障範囲を制限する規定である場合、労組法第2条は、憲法組合の保障範囲を縮小させることとなり、憲法上保障された団結権を侵害するものとして違憲のおそれが生じることとなります。
第 1 準 備 書 面
令和3年1月29日
中央労働委員会会長 殿
再審査申立人
首都圏青年ユニオン連合会
第1 答弁書「第2 再審査申立人の主張について」の「1」について
再審査被申立人は、令和2年8月26日付「再審査申立書」の第3の1の主張内容について「いずれも証拠を提出しておらず、証拠に基づかない主張を繰り返すばかり」等と主張している。再審査申立人が主張している当該事実は、初審手続の審問機関たる労働委員会の事務局職員との電話やりとりにおける事実であり、再審査申立人において電話録音を行う等して音声データを保有しているというものでもない。したがって、再審査申立人としては、該当事実につき立証を要するとのことであれば、電話対応を行った東京都労働委員会事務局審査調整課の村上栄一氏に対する証人尋問等の方法によって立証を行う方針であるので、今後の審理進行において中央労働委員会の求釈明に応じる等して、適宜立証活動においても対応する意向である。
第2 答弁書「第3 再審査被申立人の主張」に対する反論
1 「再審査申立人が労組法第2条柱書本文の要件を満たさないこと」について
(1) 再審査被申立人は、令和2年10月15日付の「答弁書」にて、「労組法第2条柱書本文は、憲法28条の趣旨を確認した規定であると解されており、『この法律で「労働組合」とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。』と定められている。すなわち、①主体、②自主性、③目的、④団体性の点を満たしたものが、憲法組合であるものとされている。……前記要件のうち、②自主性が求められる理由は、労働者が自ら組織し、使用者の支配から独立した組織であることにある。すなわち、団結権は、労働者が使用者と対等に労働条件等の向上を目的として交渉するために労働者が自主的にかつ使用者の影響を受けずに団結することを目的として認められている権利であることから、自主性については、労働者が自主的に組織していること及び使用者から独立していることが求められる。」(答弁書1頁15行目から2頁12行目まで)と説示している。再審査申立人としても、上記説示部分における一般的な講学上の理論や条文解釈については特段の異議はなく、むしろ殆どにおいて同様の認識を有しているところでもある。
(2) しかし、「再審査申立人は、使用者からの独立という点のみに着目しているが、その前提として労働者が自ら組織していることが看過されている。」(答弁書2頁13行目)以降の主張については大いに異議があるところであり、要するに、再審査申立人と再審査被申立人の間には、主に、ここにいう「自主性」の意義ないしその内容や程度といった点について大きな認識の齟齬があるものと認識している。
この点について、再審査被申立人は、「原決定及び資格審査決定の認定事実によれば、再審査申立人には役員以外の組合員が運営に参画したり、意見を述べたりする仕組み・実態がないのであって……、一般の組合員は、いわば役員が運営する組織に従属しているに過ぎ」ないということをもって、「労働者が自主的に組織しているものと言えない。」と主張している。しかし、当該争点について再審査申立人が再審査申立書にて主張しているのは、初審決定や再審査被申立人の主張において、大会の実施方法、組合役員の選出方法等に関する事実をもって「自主性」(労組法第2条柱書)の欠如をいう点が、労組法第2条において要求されている「労働者の自主性」と労組法第5条において要求されている「組合の民主性」の問題を混同するものであり不当であるということである。
すなわち、再審査被申立人も説示している通り、労組法第2条柱書は、憲法第28条の趣旨を確認する規定として、労働者の団結権行使によって組織された労働組合の基本的性格を示す規定であるところ、上位法たる憲法第28条においては「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」として、労働者団結の方法(法人格を取得するか否か等)や組織運営の仕組み(組合費を徴収するか否か、活動協力義務を課すか否か、議事運営に全員が積極的に参与する義務を課すか否か等)については基本的に何ら制限していない。そして、これを受け、労組法第2条は、「この法律で『労働組合』とは、労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう。」と規定されており、講学上においても、労組法第2条は、憲法第28条の趣旨を具体化するために、①主体(労働者が主体であること)、②自主性(労働者による自主的な組織であること)、③目的(労働条件の維持改善等を主たる目的とすること)、④団体性(団体、すなわち労働者個人の集合体であること)といった憲法組合たる基本的要素を示したものであると説明されているのが一般である。そして、これは、労組法第2条は憲法第28条の団結権保障に基づく労働組合(以下、「憲法組合」という。)の範囲を制限するものではないことを意味しており、労組法第2条は、ただ憲法組合の性質を具体的な要素をもって定義づけているものであるにすぎない(仮に労組法第2条が憲法組合の保障範囲を制限する規定である場合、労組法第2条は、憲法組合の保障範囲を縮小させることとなり、憲法上保障された団結権を侵害するものとして違憲のおそれが生じることとなる。)。
これを踏まえると、労組法第2条における「労働者の自主性」とは、労働者団結の方法や組織運営の仕組み等を特定の内容に指定するものであるはずがないし、また、各組合員が積極的に議事運営や活動に参与・貢献することについて、権利を与えはしても義務を課すものでは決してないはずである。自主性という要素の存在意義は、労働者が使用者側から特定の労働組合への加入を強制されている場合や、使用者側における影響力を有する者が組合員として参加している場合等、主に使用者の支配力や影響力が滲んだ労働者の団結を本来の健全な団結権行使の在り方ではないものとして排除すること、すなわち“使用者からの独立性を確保すること”にあるというべきものなのである。このことは、労組法第2条但書及び同条第1号及び第2号において、組合の「自主性」に関する実質要件(自主性の欠格要件)として一般的に「使用者からの独立性」が認められないと考えられる場合が規定されていることからも明らかである。
よって、いうならば「労働者の自主性」という概念は、労働者が団結するのにあたって、使用者の支配や影響を受けない状態で、自ら労働組合を設立したり、社会に数ある労働組合の中から自分に合った組織運営を行う労働組合を選択して加入する場合には、それ自体で実現されるというべきものである。企業内労働組合に入るのもよし、企業外の合同労働組合に入るのもよし、組合費を支払って団体活動協力義務やユニオンショップ協定等の比較的強度な組合統制がなされている労働組合に入るのも、組合費が無料で団体活動や組織運営における負担が限りなく少ない労働組合に入るのも、そこに使用者の支配力が及ぶのでない限り、全て労働者個々人の自主的な団結権行使の一つの在り方として尊重されるものであり、それこそがまさに憲法第28条の趣旨を踏まえた労組法第2条にて採られるべき解釈である。したがって、かかる「労働者の自主性」という概念において、労働者の主体的な選択による団結方法に制限をかけたり、組合運営において労働者本人が望んでもいない自己負担を義務づけることを要求するような解釈をすることは憲法第28条の趣旨に悖ると言わざるを得ない。
この点について、再審査申立人の組合規約においては、組合員らの要望を踏まえて原則的に組合運営への参与義務を解除しているに過ぎず、各組合員が望む場合にはいつでも無条件に議事や活動に参与できる仕組みが設けられている。そして、その上で、一般組合員らも、このような組合運営方法での団結を望んで自らの意思で再審査申立人に加入しているのであり、そこに使用者の支配力や影響力は一切介在していない。それにもかかわらず、初審決定や再審査被申立人は、「制度として、役員以外の一般の組合員が組合の運営に参画したり、意見を述べたりする仕組みができていないのみならず、実態としても、一般の組合員は、組合費を負担しない代わりに、大会及び役員選挙に関与せず、組合の運営に自らの意思を反映させていない上、そのような状況に特に不満はなく、むしろ、組合の運営や活動にかかる負担のないことが組合員であることの動機付けとなっているとみられる。」(資格審査決定書6頁10行目以降)とか、「再審査申立人には役員以外の組合員が運営に参画したり、意見を述べたりする仕組み・実態がないのであって……、一般の組合員は、いわば役員が運営する組織に従属しているに過ぎ」ない(答弁書2頁23行目以降)ということを理由として、再審査申立人に「労働者の自主性」が認められないとしているのである。初審決定や再審査被申立人のこのような判断・考え方は、「労働者の自主性」(労組法第2条)と「組合の民主性」(同法第5条第2項)の問題を混同し、労組法第2条の規定内容について憲法第28条の団結権の範囲を収縮させるような解釈を行い、憲法組合としての団結の在り方を不当に制約するものである。このような初審決定の判断や再審査被審査申立人の主張は不合理極まりないものというべきで、労組法第2条を違憲的に適用するものである。
(3) 他方、再審査被申立人は、「再審査申立人は、役員らで運営する組織に一般の組合員が従属しているに過ぎない仕組みになっているのであるから、運営のための組織や財政が存在していない」ということ、「実態は労働者が、再審査申立人の役員らに対して労働相談・交渉等を依頼しているに過ぎないもの」として「組合員と再審査申立人の関係は委任者と受任者の関係に過ぎ」ないということをもって、再審査申立人の団体性の欠如を主張している(答弁書2頁31行目以降)。
しかし、再審査申立人の運営においては、構成員たる組合員から徴収する組合費を財源としていないというだけで、独立した法人格を有し、まだまだ規模は小さいながらも独立した財務会計が行われているのも事実であり、団体性の欠如を指摘されるような事実は何ら存在しない。また、組合費も無料、団体活動協力義務もない、組合役員をはじめとする組合運営への当番制的な義務的配置等もない、ユニオンショップ協定等による組合員の組合加入を強制するような運用も行わない等、組合員に対して、従来の労働組合で当然のように強いられてきた強度の組織統制を否定する運営がなされているのであるから、再審査申立人と各組合員の間には、一般企業における会社役員と従業員のような指揮監督関係があるわけではない。さらには、逆に、組合員自身が希望する場合には、自身が勤務する企業との間での団体交渉に参加するだけでなく、他の組合員に関する団体交渉に参席して意見を述べたり、組合の運営するWEBサイト記事を書いたり、ビラ配り活動に参加する等、労働組合としての団体活動に自由に参加することができ、また、組合役員への立候補も自由に行うことができる(なお、これまで組合員が組合役員に立候補した場合で役員就任が叶わなかったケースは一度も存在しない。)のであるから、再審査被申立人が主張するような「「一般の組合員の組合への加入は形式的なものに過ぎず、実態は労働者が、再審査申立人の役員らに対して労働相談・交渉などを依頼しているにすぎない。」とか「委任者と受任者の関係」等と評価されるいわれも一切ないものである。再審査被申立人は、何をもって“組合員は再審査申立人に従属しているに過ぎない”と主張しているのかも判然としない。
(4) 以上を踏まえ、再審査被申立人の主張は妥当ではなく、再審査申立人が労組法第2条に適合しない旨の判断を行った初審決定が不当かつ違法な判断を行ったものであることを改めて主張する。
2 「法適合組合に当たらないこと」について
(1) 初審資格審査時における再審査申立人の組合規約では、「大会は、……議決権を有する組合員をもって構成する。」とされ(規約第11条)、ここにいう「議決権を有する組合員」は「予め当ユニオンより議決権を有する者と指定された者をいう。」とし(同大15条第1項)、「各役員の選挙は、大会における議決権を有する組合員の直接無記名投票によって選出」することを定めた規定(同第16条)等が置かれている。確かに、これらの規定について、現行労働組合法第5条第2項各号の規定と形式的に抵触し得る部分があることは事実であり、再審査申立人においてもその点を争う意向はない。あくまで再審査申立人が主張しているのは、組合規約におけるこれらの規定の趣旨、内容は、現行労組法第5条第2項の趣旨に悖るものではないということである。
(2) この点について、再審査被申立人は、「労組法上の不当労働行為救済は、憲法の保障する労働三権の範囲を超えて労働組合を救済する、創設的なものであるから、憲法28条の保障を根拠に解釈を拡大できるものではないし、そもそも文理解釈を超えた法律解釈は不可能であって、法改正で対処すべきものである。したがって、前記の(再審査申立人の)主張は、再審査申立人の畢竟独自の見解に過ぎない。」と主張している(答弁書4頁9行目以降)。
(3) 確かに、労組法においては、救済申立制度等につき憲法第28条の基本権保障を超えた救済が法律レベルで制度化されている部分が存在しており、また、憲法第28条の労働三権も請求権的側面についてはいわゆる抽象的権利として把握されるものであることから、憲法の規定のみを根拠として法令上創設されている制度以上の救済を要求することはできないということ自体は、再審査申立人においても、もとより憲法解釈、法令解釈上確立された理論として理解しているところである。
しかし、再審査申立人が本件において主張しているのは、憲法の規定を直接の根拠として法律が規定していない権利主張を行うとか、憲法上の基本権を具体化した法律の規定について人権論を振り回して無理な解釈を主張するといったものでは決してない。すなわち、労組法第5条第2項は、労働組合の規約に規定すべき事項として、「組合員は、その労働組合のすべての問題に参与する権利及び均等の取扱を受ける権利を有すること」(第3号)、「その役員は、組合員の直接無記名投票により選挙されること」(第5号)、、「会計報告は、……少なくとも毎年1回組合員に公表されること」(第7号)等の事項を定めており、同法第5条第1項本文は、「労働組合は、労働委員会に証拠を提出して第2条及び第2項の規定に適合することを立証しなければ、この法律に規定する手続に参与する資格を有せず、且つ、この法律に規定する救済を与えられない。」として、労働組合が第2条及び第5条第2項に適合することを条件として労組法上の救済手続の恩恵を受け得ることを認めている。
しかし、かかる規定の趣旨は、労働組合が労働者によって組織される自律的な相互扶助団体であることを踏まえて、組合員の意思を反映した公正かつ民主的な運営を求めることにより憲法第28条に基づく労働三権の保障を制度化し、ひいては個々の労働者の利益を実効的に保護する点にあることから、同法第5条1項但書は、「但し、第7条第一号の規定に基く個々の労働者に対する保護を否定する趣旨に解釈されるべきではない。」と定めており、第2条や第5条第2項が形式的に適用されることによってかえって個々の労働者に対する保護が否定される結果とならないように労組法第5条第1項を解釈するべきことを定めている。再審査申立人は、これを踏まえて再審査申立書において「労組法第5条第1項本文は、労働組合の団結の経緯、組合員の数、団体の活動範囲、各組合員の住所と組合拠点所在地との距離などの諸般の事情に照らして総合的に考慮し、仮に労組法第5条第2項各号に定める通りの規約内容を要求する場合にはかえって個々の労働者利益が損なわれる結果となると認められるときには、憲法28条の労働三権の保障を踏まえ、組合運営の民主性や個々の組合員労働者利益が実質的に損なわれない限りにおいて柔軟な運用を求める規定であると解釈されるべきものである。」という主張を行っているものであり、法律上の明文の根拠規定をもって、労組法第5条1項を個々の労働者利益保護の観点から解釈すべきであること、もっといえば、憲法第28条の価値に根差した憲法適合解釈をすべきであることを主張しているにすぎない。したがって、再審査被申立人が再審査申立人の主張について、憲法28条の保障を根拠に解釈を「拡大」するものであるとか、「文理解釈を超えた法律解釈を行うもの」と主張することは的を射ていないものである。他方、再審査申立人としても、現行の労組法において、労働組合において組合費徴収による運営しか想定されていないような規定が現存している点等、時代に合わせた法改正の必要性を感じているところはあるものの、少なくとも本件にて再審査委申立人が行う主張については、労組法第5条1項但書という明文規定を根拠として憲法適合解釈を前提とした解釈論を展開しているにすぎないのであるから、これを法改正がなければ対応できないようなものとする再審査被申立人の主張は、到底容認できないものである。
(4) 以上を踏まえ、初審決定の法令解釈及び法令適用は、憲法第28条及び労組法第5条第1項但書を踏まえた労組法第5条第1項本文及び同条第2項の解釈を誤り、これを違憲的に適用するものであり、違法かつ不当なものなのである。
なお、再審査被申立人が法適合組合であることの主張立証責任について言及している点については、都労委での救済申立手続においても都労委の求めに応じて資格審査にて提出可能な書証提出や調査事項に関する回答を行っている。再審査申立手続において改めて資格審査事項に関する調査を行う必要があるのであれば、対応させていただくゆえ中央労働委員会の方からその旨の求釈明をされたい。
3 「補正について」について
(1) 再審査被申立人は、不当労働行為救済申立てによる労働組合の保護が憲法第28条から直ちに導かれるものではなく、労組法で創設された保護にすぎず、また、その保護が与えられないとしても司法救済が与えられる余地があることから、不当労働行為救済申立制度が政策的な制度に過ぎないことを根拠として、資格審査の実施及びその方法について、労働委員会の広範な裁量が認められると主張しているようである(答弁書4頁29行目以降参照)。しかし、そもそも行政裁量とは、行政行為をするにあたって根拠法令の解釈適用、処分の選択等につき法律によって行政庁に認められた判断の余地をいうのであるから、救済申立制度が憲法上の制度でないからといって、同制度につき定める労組法についての仕組み解釈を抜きにして労働委員会に広範な裁量が認められるとする再審査被申立人の主張は、理論的根拠すら判然としない独自の見解に基づくもののように見受けられ、その内容についてもおよそ妥当性を見出し難いものである。
また、再審査被申立人は、上記独自の見解について、労働委員会規則第24条の文理上、労働委員会には労組法に適合するか否か、勧告を行うか否かについて裁量が認められていることとも適合すると主張しているが(答弁書5頁2行目以降)、同規則は、単に救済申立手続の審問機関たる労働委員会に手続進行上必要となる一定の行政裁量を認める、ごく一般的な規定内容にすぎず、当該規定に対するいかなる仕組み解釈に基づいて労働委員会に広範な裁量が認められると主張しているのか、全くもって判然としない。
なお、法律の専門家たる弁護士が4人も記名を連ねて起案された答弁書において、よもや理解不足・認識不足ということはないものと認識しているところであるが、法文上、「~できる。」と規定されていても、単に権限を行使するかどうかは自由であるという意味ではなく、裁量権を付与する根拠法令の解釈上、その権限を行使すべきときには行使しなければならず、行使すべきでないときには行使してはならないという意味になることは、数多の行政事件判例においても当然の前提として確認されているところであり、講学上においても、例えば「『取り消すことができる』というように、行政の権限行使に当たって裁量が与えられている規定ぶりになっている場合でも、行政にまったく自由な判断余地が与えられているわけではない。行政に権限を与えている根拠法の制度趣旨に鑑みて、常に的確な権限行使が義務づけられていると考えるべきである。それは、ある場合には、取消しをしないという裁量権行使が適法とされるということであり、別の場合には、それが違法とされ取消しをしなければならないということである。」(北村喜宣、「『義務的取消し』と効果裁量 一般廃棄物処理業許可への適用の一断面」、「自治研究(第89巻第5号)」、31頁」等のように、判例と同趣旨の法文解釈論が確認されているところである。
上記を踏まえ、再審査申立人は、労働委員会規則第24条に基づく補正勧告について、救済申立手続が労働者利益の保護を目的とした制度であることが労組法第四章第二節の規定全体から明らかであるとともに、同制度が憲法第28条による労働三権の保障を超えた法令上の労働者救済制度である点に鑑み、当該補正勧告が労働組合の要件充足性を確保するための制度であることからすれば、労使対等関係の実現のため、労働組合の要件補正が可能である場合には積極的に補正勧告を行う義務を定める趣旨の規定であると解釈されるべきとの主張を行っている次第である。
(2) そして、本件においては、都労委の権限不行使についての裁量の逸脱濫用に基づく労働委員会規則第24条違反及び憲法第28条違反が認められるだけでなく、さらには、資格審査事項についての補正勧告は他事例において充分になされていることが通常であることから、本件においては、法令解釈の誤りや当組合に対する偏見等の不合理な理由から当組合という特定の労働組合に対してのみこのような権限の不行使を行ったものであるといえ、当該補正勧告の不実施は憲法第14条違反をも基礎づけるものであることは、再審査申立書にて詳細に主張している通りである。
(3) 以上の通り、再審査被申立人の主張は、法令の仕組み解釈に基づく裁量の広狭に関する視点をまったくもって欠いているだけでなく、法令の趣旨・目的等に鑑み、一定の場合には労働委員会の補正勧告に関する裁量が収縮しうることや、積極的釈明(補正勧告)義務が生じる場合があることを見過ごしているものと言わざるを得ず、およそ妥当なものとはいえない。したがって、再審査被申立人の主張を容れる理由は何ら存しない。
なお、本争点においても、本手続上、再審査申立人において立証を要する事項がある場合には、可能な限りの立証を尽くす所存であるから、中央労働委員会においては必要に応じた適切な求釈明をされたい。
第3 結語
最後に、本手続における争点に関する主張とは若干外れてしまうものの、本件においては、再審査申立人の執行部から組合員らに対して本手続の方針等を公表したところ、組合員らからは「労働者の働き方がこれだけ多様化している社会の中で、労働組合の多様化を認められないというのはおかしい。」、「自分に合った労働組合に入りたいという気持ちが自主的に組織された労働組合でないと評価されることには納得がいかない。」、「多様な団結の在り方が認められないとなると、労働者にとっては、事実上、労働組合を組織して使用者企業と闘うことなんてできなくなる。団結権という人権が憲法上の権利として認められているとはいっても、これでは絵に描いた餅もいいところだ。」等の声が上がっているところである。権威ある中央労働委員会においては、是が非とも労働組合の多様化を認める英断をお願いする次第である。
以上
第1準備書面(首都圏青年ユニオン連合会)(全文PDF)